![駅名版 [4KB]](http://e924.hp.infoseek.co.jp/181/sp2042.gif)
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このページでは歴史と言っても、教科書的な「地面に埋まってる系」や「お寺にしまわれてる系」は除いて交通機関中心にまとめました。
地形を大きく変えた人工河川の荒川放水路や新中川放水路については地図(古地図)を参考にして下さい。
現在の新小岩と言う地名ができたのは昭和40年のことです。
では、それまで何という地名だったのでしょうか? 答えは、上平井町、平井中町、上小松町、下小松町といったかんじで江戸川区の小岩とは関係無い地名でした。
明治時代の新小岩は、なんと荒川も新中川も無く、蔵前橋通りも平和橋通りも環七もありませんでした。
そして、総武鉄道は開通していたものの駅はありませんでした。
やがて信号場が出来ますが「新小岩駅」の旅客営業が正式に始まるのは昭和3年7月1日(10日)になってからのことです。
当時の地元では駅名を「小松駅」にしたかったようです。
小岩の手前に出来た新しい駅なので新小岩らしいです。駅の周りは一面の田圃でした。
地名について
平井は約400年位前までは平江と呼び、ここまで海水面が来ていたのではと考えられています。野菜の小松菜は小松川の地名から来ています。
葛飾や江戸川の地名の由来や、区名決定の際の争いは各区史等をご覧になってください。
昭和30年代は違う名前の町でした(駅名は新小岩)。かつての町名を新旧町名対照表にまとめました。
新小岩に北新小岩が無くて、どうして東新小岩と西新小岩なのか?
どうも新小岩の地名を考える時お坊様が北は良くないと言うので東と西になったらしい。
明治、大正期の総武線は隅田川に遮られて他の国鉄線に接続していない陸の孤島でした(千葉県は四方を水に囲まれてて本当に島だけど)。
そこで、常磐線の金町と総武線新小岩信号場を連絡する貨物線が作られ、同時に新小岩操車場が開設(大正15年)しました。
この頃、新小岩では貨物ホームに列車を止めて乗客の便を図っていました。
昭和3年、現在地に新小岩駅が開設されますが、江戸川区側の南口だけで、北口は今は無き大同製鋼、那須アルミ、太田鉄工所による請願で昭和19年開設します。
葛飾区は関東大震災、第二次世界大戦であまり被害を受けませんでしたが、洪水に関しては常習地域でした。新中川放水路は昭和38年に開通します。
昭和30年代になってやっと市街化が進みました。その後、蔵前橋通り開通、複々線化、快速用ホーム設置とさらに発展しました。
街の発展と共にだんだん大きな工場が郊外へ移転し出します。
昭和50年、日経アルミニウム工業鰍ェ船橋工場へ移転し、西新小岩2丁目が空っぽになり、
隣の西新小岩1丁目も大同製鋼が移転、ボーリング場も消えて、だいどー跡地は大人子供を問わず格好の遊び場になました。
その後、日経アルミ跡は公団や学校(56年)になり、だいどー跡地は都営住宅と整備された公園になりました。
日曜ごとに賑わった中土手のモトクロスコースも首都高速の工事で消えました。そしてだんだん田んぼやザリガニのいた沼地も消えてゆきました。
昭和62年、千葉県からの車の流入もあって巽橋周辺の渋滞が著しく、なんと地元の足であるバス路線が廃止になってしまいました。
厳密には朝9時までの東新小岩4丁目からの蔵前橋通り上り線の便が路線変更に追い込まれたと言うことです。
平成2年頃、西井堀が下水道の普及によって埋め立てられました。この頃に生産緑地法の改正やバブル景気があって残っていた農地はほとんど消滅し風景が変わりました。
昭和59年、貨物のヤード系輸送の廃止(この時貨物駅851→457駅へ)。そして昭和62年、国鉄からJR貨物になり、大宮貨車職場は新小岩車両所と変わりました。
ヤード廃止から13年、ついに跡地売却、平成9年8月25日、新小岩車両所移転。そして9月14日、この日、70余年にわたる旧新小岩操車場の機能は止まりました。
鉄道が出来てから発展した新小岩の街ですが、鉄道の基地であった機関区や工場、ヤードのある旧操車場は無くなり、
街の発展を見続けてきた転車台をはじめとする貴重な蒸気時代の遺物は保存されることなく消えて行きました。
新小岩地区で大規模な工場は森永乳業(昔は製紙工場)くらいになってしまいました。
蔵前橋通りのかつては日本一?とも言われた中古車店街も少し減ってきたようです。
平成11年前後、バブル崩壊以後沈静化していたマンション建設が活発になり高層マンションが増える。
時を同じくして50人規模位の工場が次々と閉鎖され消えてゆきました。
大工場もいなくなり、商業地なのに大店舗はいなくなってしまい、ただのベットタウン(夜間人口の方が多い)になりつつあります。
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| 元号 | 西暦 | 新小岩に関して | その他 |
|---|---|---|---|
| 明治4 | 1871 | 廃藩置県(小菅県廃止) | |
| 明治22 | 1889 | 市制・町村制(東京府南葛飾郡奥戸村大字○○) | |
| 明治27 | 1894 | 総武鉄道 本所−市川開業(12/9) | 総武鉄道 市川−佐倉開業(7/20) |
| 明治28 | 1895 | 日本鉄道 田端−土浦開業(12/25) | |
| 明治30 | 1897 | 亀有駅開設(5/) 総武鉄道本所−銚子間全通 | |
| 明治32 | 1899 | 平井駅(4/28)と小岩駅(5/24)と金町駅開設 | |
| 明治40 | 1907 | 総武鉄道国有化(9/1) | 房総鉄道(千葉−大原等)国有化(9/1) |
| 明治41 | 1908 | 平井−小岩間複線化 | |
| 大正元 | 1912 | 京成 押上−伊予田(江戸川)、曲金(高砂)−柴又開業(11/3) 四ツ木駅、立石駅、曲金駅、伊予田駅、柴又駅開設 | |
| 大正3 | 1914 | 東京府告示:放水路開削によって平井村廃村 | 同じく船堀村、小松川村廃村(4/1) |
| 大正8 | 1919 | 新宿に電話が通じる(交換局)。 | |
| 大正9 | 1920 | 葛飾に初めての自動車所有者(貨物2台) | |
| 大正10 | 1921 | 鉄道省設置(5/15) | |
| 大正12 | 1923 | 荒川放水路通水(9/25) | 平井駅移転(1/)、関東大震災(9/1) 城東電気江戸川線開通(12/31) 専用軌道化四つ木、立石駅移転 |
| 大正14 | 1925 | 雷(葛西)−上平井町(西新小岩)に城東汽船開業(綾瀬川) | |
| 大正15 | 1926 | 新小岩信号場開業(2/14) 新小岩操車場(初代)変更、新金線開通(7/1) | 金町浄水場 |
| 昭和3 | 1928 | 新小岩停車場(駅)変更(7/1または7/10) 新小岩工場開設(錦糸町より移転) | 青砥駅開設 |
| 昭和4 | 1929 | 新小岩機関庫開設(錦糸町より移転)(3/7) | 貨物線小名木川まで開通 |
| 昭和5 | 1930 | 荒川放水路完成 | |
| 昭和6 | 1931 | 上平井橋架設(9月木橋仮橋、12年本橋) | 京成 日暮里−青砥開業(12/) 堀切菖蒲園駅、お花茶屋駅開設 |
| 昭和7 | 1932 | 東京市葛飾区となる(10/1) (旧15区+旧5郡=35区) | 他の旧南葛飾郡は、 向島区、城東区、江戸川区となる |
| 昭和8 | 1933 | 市川まで電化 | |
| 昭和15 | 1940 | 紀元2600年 | |
| 昭和18 | 1943 | 東京都葛飾区となる | |
| 昭和19 | 1944 | 北口開設(2/1) | |
| 昭和20 | 1945 | 終戦(8/15) | |
| 昭和21 | 1946 | 貨物営業開始(7/1) | |
| 昭和22 | 1947 | カスリーン台風 | |
| 昭和24 | 1949 | 日本国有鉄道発足(6/1) | |
| 昭和27 | 1952 | 今井街道にトロリーバス開通(5/20) | |
| 昭和28 | 1953 | 深川線越中島駅まで開通 | |
| 昭和29 | 1954 | 新小岩客貨車区開設(12/15) | |
| 昭和31 | 1956 | 南口広場整備完成(12/) | |
| 昭和33 | 1958 | 千葉管内初の優等列車登場準急犬房(7/10) 越中島駅開業(11/20) | |
| 昭和35 | 1960 | 葛飾電話局の局番が69→691 | |
| 昭和36 | 1961 | 中川以東の地区で中川区独立運動 | |
| 昭和37 | 1962 | ガード開通 | |
| 昭和38 | 1963 | 新中川放水路開通 黄色い電車101系運転開始 | |
| 昭和39 | 1964 | 新金線電化(9/) 葛飾区内初のボーリング場(東1丁目) | 東京オリンピック |
| 昭和40 | 1965 | 自治省告示151:下小松町の江戸川区との境界変更(1/1実施) 地名が新小岩になる 新小岩1〜4丁目住居表示(12/1) | 江戸川区中央(旧東小松川)、松島(旧西小松川) 松江1〜3住居表示(9/1) |
| 昭和41 | 1966 | 東新小岩1〜8、西新小岩1〜5住居表示(3/1) | |
| 昭和42 | 1967 | 蔵前橋通り平井大橋開通 みどりの窓口設置(4/1) | 松江4〜7住居表示(7/15) |
| 昭和43 | 1968 | 駅の貨物営業分離で 新小岩操車場駅開設 中野−木更津に快速運転 101系で新小岩停車(10/1) | 男はつらいよ(第1作) 環七 亀有−水戸街道開通 トロリーバス廃止(9/29) |
| 昭和44 | 1969 | 営団 葛西駅設置(3/29) 綾瀬−金町高架化(3/) 旧四ツ木橋解体(T11年木橋) | |
| 昭和45 | 1970 | 荒川橋りょう貨物線のみ新鉄橋へ(3/10) 千葉管内最後のSL新小岩−蘇我間 D51-21走る(3/24) 上平井水門完成 | |
| 昭和46 | 1971 | 巽橋歩道橋完成(4/) | 綾瀬−我孫子複々線化 |
| 昭和47 | 1972 | 緩急別複々線化(7/15) 東京起点に変更(9K982M94) | 千葉管内初の特急列車登場 上千葉公園D51購入(大宮より搬入) |
| 昭和50 | 1975 | 日経アルミ移転 環七 奥戸−本一色開通(5/12) | 江戸川区等でクロム鉱さい投棄発覚 |
| 昭和55 | 1980 | 横須賀線総武快線速直通運転(10/1) | |
| 昭和57 | 1982 | 総武線201系運転開始(8/14) | 千葉局153,165系急行廃止(11/14) |
| 昭和58 | 1983 | 都営地下鉄 船堀駅開設(12/23) | |
| 昭和59 | 1984 | ヤード系輸送の廃止(2/1) | |
| 昭和61 | 1986 | 新小岩操車場に変更(11/1) | 都営地下鉄 篠崎駅開設(9/14) |
| 昭和62 | 1987 | 新小岩操車場駅に変更(3/31) 国鉄分割民営化JRに(4/1) 首都高C2開通(かつしかハープ橋) | |
| 平成2 | 1990 | 西井堀埋め立て始まる | |
| 平成3 | 1991 | 成田エクスプレス登場(3/19) 北総開発 新柴又駅開設(3/31) | |
| 平成5 | 1993 | びゅうプラザ独立(4/1) | |
| 平成9 | 1997 | 新小岩派出移転、車両所移転(8/25) | 平井に荒川の水上バスステーション開設(7/) |
| 平成10 | 1998 | 巽橋に横断歩道(12/) E209-500運転開始(12/) | |
| 平成11 | 1999 | 駅中央階段にエスカレーター設置(2/22) 113系引退で速度UP(12/4) | かつしか区HP開設(11/11) |
| 平成12 | 2000 | アドマチック天国新小岩特集(4/22) ATOM表示(5/25) あらかわ水辺公園開園(7/1) |
江戸川区HP開設(4/) 堀切に水上バスステーション 京成二階建てNEO PLANバス18000cc引退(9/30) |
| 平成13 | 2001 | 京成分社化タウンバス誕生(2/) | |
| 平成14 | 2002 | 新小岩駅北口駅広が少し広くなる | |
| 平成15 | 2003 | 上小松獅子愛好会解散 | |
| 平成16 | 2004 | 精工舎跡の開発ビルで東西新小岩電波障害 | 錦糸町−品川間がATCからATS-Pに変更 |
| 平成17 | 2005 | 葛飾区立中学校二学期始業1週繰り上げ | |
| 平成19 | 2007 | たつみ橋立体化事業、新小岩陸橋開通(10/15) |
※台風被害については多いので一部割愛しました。
※環七の最後の開通区間は葛飾区内で、葛西城跡の真ん中をぶち抜きました。(地下化してここも城址公園にしてほしい)
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小名木川駅についても2001年で廃止し、発着貨物は隅田川駅にに変わるようです。跡地はマイカルと明和地所で再開発予定。
新金線、越中島線、新小岩派出も寂しくなりそうです。
下記の地下鉄より、数年後に豊洲まで伸びる「ゆりかもめ」をそのまま越中島線、新金線ルートで走らせる方が簡単そうな気がしますね。
これをゆりかもめ金町延伸推進委員会と言う架空計画のページで書きました。
他にも最近は環七の下に地下鉄(メトロセブン)を求める声も出ています。
これは、足立・葛飾・江戸川の環状鉄道整備が目的で、事務局は環七高速鉄道促進協議会で江戸川区にあります。
計画は、葛西臨海公園から、さらに赤羽を通り、エイトライナーと合わせて羽田空港に達する環状鉄道構想です。
逆に、地下鉄8号(有楽町線、豊洲−押上−亀有−)・地下鉄11号(半蔵門線、水天宮前−押上−松戸)の延伸計画は新小岩を避けたルートです。
地下鉄8・11号促進連絡協議会は葛飾区長・江戸川区長・松戸市長・墨田区長・東京都知事・千葉県知事です。
*帝都高速度交通営団は、有楽町線を半蔵門線ルートで押上駅へ出て亀有へ行くルートを既に申請しています(平9年現在)。
新小岩は立地が良いのですがバブル時にも開発されませんでした。
しかしやっとこの地区も、都市計画が決定(平10.2.3)し、かつての転車台を回るように都市計画道路も作られ、その内側は公共住宅になる予定です。
新小岩駅も補助を受けてエスカレーターを平成11年に設置しました。
東新小岩1−8には北口用の「駅東北口交通広場(バスターミナル)」を作る予定で、駅との連絡通路(貨物線が空いたらそこを使う)の調査も予定されています。
さらに平成10年には都の「生活都市東京構想」のモデル地区にもなり動き出しそうです。
しかし、都市計画道路もバスターミナルも地元説明会や直に聞いた感じからは、域内交通に関して、どうしたい目標なのか、どういう効果があるのかさっぱり解りません。
補・281号、補・284号も相変わらず造る気配が無く、「小松陸橋〜上平井橋ルート」が相変わらず一方通行、巽橋はこの地区のネックだし、
全体の計画無しに西井堀が綺麗な道路になったため通行量が増え、そのしわ寄せで東新小岩3丁目付近が危険な状態になってしまった。
本当に、計画や構想の文字に値する考えがあるのだろうか?自信がないから計画段階での公表が出来ないのだろう。
新小岩周辺では色々開発の話が持ち上がりましたがほとんど実現していません。
「新金線(しんきんせん)旅客化」「上一色駅(新小岩−小岩間)新設」「新小岩駅舎建て替え」「操車場跡地再開発」
選挙の季節になると特に話題になっていました。
巽橋の立体交差も他の都市計画と合わせての話だったのか?未だに実現しません(せめて国道だったら…!?)。
都営住宅前の都有地と南口の間に線路を越える歩道橋を作る話もあったようですがこれも消えました。
当然なことですが派手な開発話や出店話は、商業地(鉄道・駅)中心にありましたが地元の反対等で消えています。
(東新小岩2丁目操車場跡地も島忠が来る話がありましたが反対などで老人ホームなどになるらしい)
住宅地の方の開発は生産緑地法改正やマンション建設、どぶの埋め立て、環七開通等ありますが、劇的な変化は江戸川区ほどではなく、
開発話の噂を聞いて住んでいた学生も実現や立ち消えするまでの間に社会人になって区外に引っ越してしまったり、
出産に合わせて引っ越し(葛飾区より隣の江戸川区の方が子育ての面で優遇)してしまいます。
結局、いつ実現するかわからない話を待つ気はないということでしょう。
開発に対して昔から地元に住んでいる方と、新しく住んだ駅利用者では考えが違うようです。
昔から住んでる方にとっては開発で住環境が悪くなった実感があります。実際、奥戸では新中川開削、環七開通で街が分断されました。
しかし、新小岩在住通勤サラリーマンにとっては開発(特に駅前)は必要です。
ちょっと前の新小岩南口にはアーケードの商店街の他、当時としては大型の店舗もありました。
(ちなみにルミエール商店街は以前「新小岩銀座」と言う名前のアーケードでした)
丸興(Liv)、長崎屋、十字屋…、西友はデパートとしては無くなりました(歴史的1号店らしいので改装して専門店として復活しました)。
そして、北口にはボーリング場が複数有りました。現在もあるサニーボールの他に、現在のバスターミナル予定に地新小岩ボウリングセンター(区内初)、
現在の駐輪場に大同ボーリング場もありました。
今や、出店どころか大店舗がみんな消えてしまい、映画館に至っては一館も残っていません
(新小岩には南口に新小岩第一劇場(コンパル銀映座)と、新小岩2-1に新小岩東映が有り、昔は西新小岩にも在ったそうです
(H11.2/28亀有名画座閉館で葛飾区は映画館数0になりました)。
個人的には旧来からの身近な文化として書店があることが救いですが、もっと大型化して近隣からの集客があるくらいになって欲しいですね。
個人商店や商店街が元気な街は活気があっていいのです。
しかし、環七沿いにはおかじま電気やサミットストア、千葉街道沿いにはコジマがあって江戸川区側はマイカーで買い物できる大型店がにぎわっています。
葛飾区側とは生活スタイルの流れが完全に違う方向へと向かい、若い世代が生活しやすい街と、お年寄りとおばさんが生活しやすい街に別れつつあるのかもしれません。
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昭和62年3月31日、国鉄最期の日に日通の貨物ホーム跡でTV局のイベント、しばらくクエ28-000の運転台が置いてあった。
昭和62年8月1日、「新小岩車両所ビッグサマーフェスティバル」DL+コキ51675+ヨ8608+ヨ8606+ヨ3961+ヨ6737運転(右写真)。
部品即売、ゲーム(松葉スポーク車輪転がし)、屋台等お祭り。
昭和63年4月2日、「JR一周年記念」新小岩駅で国鉄時代の駅名板等販売。
昭和63年7月 、新小岩駅内通路にて新小岩駅60年の歴史と写真の展示が行われる。
平成元年10月1日、新小岩車両所、DL+ヨ運転、部品即売。
平成10年7月1日、新小岩駅旅客営業開始70周年記念企画「新小岩・鉄道と歴史」展行う。
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新小岩駅
新小岩駅は操車場との兼ね合いで開業日が複雑です。
初代新小岩駅駅舎は木造平屋建てでした。
ホームは高架で島式が1本。千葉寄りの先端部に亀戸駅のような駅舎への階段がある配置でした。
ホームの位置は現在の快速用ホームの当たりのようですが、当時のホームは一度完全に撤去されています。
現在、1,2番線は高架上で、3番線から貨物線は築堤上にあります。
プラットホーム床端面にはプレートがあり、1,2番線は[1967-6]、3,4番線は[1972-3]となっています。
新金線に昔新小岩駅構内にあった0Kmポストの画像あります。
写真は硬券が買えた頃の北口駅舎。P:yuuki
新小岩駅の改札のパンチは右の形でした。
(北口では国鉄末期まで硬券が買えた)
平井駅
開業時の平井駅(M32.04/28開)は今より東にあって荒川放水路の開通から大正12年1月に現在地に移転しました。
複々線化の頃まで日東硫曹の側線(0.3Km)があったようです。
旧中川には現橋梁の下に昔のレンガ製の橋台が最近まで残っていましたが河川を公園にしたとき壊されました。
右のイオカードは平井駅100周年記念の物です。
小岩駅、市川駅
昭和47年の快速運転から連続立体複々線化が進み、総武線の風景は暖かみのない物になりました。
小岩駅(M32.05/24開)、市川駅(M27.07/20開)は現在と違って、跨線橋と3番線までのホームと、貨物側線があり、
幹線の駅らしさを持っていました。
両国駅以外は画一的なホームになり、高架なので踏切も在りません(安全にスピードUPしますが)。
高架になる前の小岩駅の東には柴又街道が陸橋で越えていました。蔵前橋通りとの交差点は謎の丘になっていますが陸橋の名残でしょうか?
(広いのでよくシートベルト取り締まり会場になる)
右の写真は小岩駅−新中川間にある新中川開通前(地上時代)のと思われる架線柱土台跡。平成10年10月25日撮影P:yuuki
平成12年2月、バーミヤン小岩西店調査で駐車場になって撤去されているのを確認。
10年ぐらい前までは快速線の真下に複線時代のと思われる鉄橋が近くに残っていました。
錦糸町駅、両国駅
本所駅(M27.12/09開)とは現在の錦糸町駅で大正4年5月1日に改称されました。
昭和40年代まで錦糸町には客車区「千キウ」が存在しました。
錦糸町−両国間は日本初の高架路線で作られました。
両国橋駅(M37.04/05開)とは現在の両国駅で昭和6年10月1日に改称されました。
右の写真は錦糸町−亀戸間横十間川の橋梁の真下に残る橋台跡です。平成10年11月3日撮影P:yuuki。
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太平洋戦争の遺産高射砲跡が白鳥に残っています。
隣町の奥戸にある鬼塚遺跡の画像も展示しました。